ニワカWBCファンが大谷翔平について語る

「野球界では通常相容れないと考えられている投打の両面で優れた能力を持つ大谷は、10年に一度、いや、むしろ100年に一度の選手と呼ぶべきかもしれない。実際のところWBC決勝戦での彼の結果は、100年以上前にベーブ・ルースが同様の達成をして以来、アメリカ野球界では目撃されていないものだ。」

もちろんここから「大谷翔平さんのスライダーの回転数の秘密は・・・」とか語りだすわけではなく、しかもリアルタイムでもなく週末に録画した試合をテレビでみる程度のかなりのニワカファンとしての印象を。

試合を見ていたときに私が一番強く感じた印象は「もしかして打てないのでは?」「もしかして打たれるのでは?」という無意識的に心に忍び寄る悪い「もしかして」を見ている側に微塵も感じさせないということです。多くの人に共通している自分の可能性を信じられない面がまったく感じられないのです。

そしてそれはなぜなのかなぁということをテレビを見ながら考えていた時に、子供がふと言った「大谷翔平さんが言った『憧れは捨てましょう』という言葉の意味が最初は難しくてわからなかった」という言葉でストンっと腹落ちしました。

私は、「ヒトは生まれたときには無限の可能性をもっているものの、時間は有限であることからいくつかの可能性だけを育て、育てられなかった可能性は「シャドウ」としてそのヒトの中で開放されるタイミングを待っている」と考えています。

たとえば「アイツだけは生理的に受け入れられない」「あの人だけは許せない」「あんな奴が認められているなんて世も末だ」というように激しく負の感情を掻き立てられるヒトって周りにいないでしょうか? そうしたときには自分の中で育てられていない「シャドウ」をそのヒトの中に見ている場合があります。

また「シャドウ」は負の感情だけでなく、正の感情として表れることもあります。たとえば「あの人みたいになれたらいいな」「あの人を心から尊敬している」「あんなすごい人には到底かなわない」というように、憧れとは結局のところ自分には到底無理な可能性として切り離している「シャドウ」に過ぎない場合があります。

大谷翔平さんはこの負も正も含めて「シャドウ」が極端に少ないのではないかと感じたのです。自分のもつあらゆる可能性を有限の時間の中で育てるために、野球だけでなく食事や睡眠、おそらく言葉遣いや表情、立ち振る舞いなども含めて日常のあらゆる部分で並々ならぬ努力をされているのではないかと思います。

しかしそうした圧倒的な努力が二刀流から感じられるからこそ、日本だけでなく世界中のファンを魅了したのではないかと思います。少なくても私はニワカもいいところですが、「シャドウ」は統合できるし統合したらすごいことになる、ということを改めて実感できて大いに勇気をもらいました。大谷翔平さん、ありがとうございます。益々のご活躍を⚾

https://www.theguardian.com/sport/2023/mar/22/shohei-ohtani-japan-world-baseball-classic

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