「ここ十年程、有害(toxic)な人という表現がよく使われるが、ときにそれは自分がこれまで避けてきた課題を映し出しているに過ぎず、自身がよりよく成長するための機会を提供しているともいえる。大切なのは、それが本当に有害な人間関係なのか、それとも自身を顧みて根深い課題を解決するための成長機会なのかを見極めることだ。」
私も学生時代には毎年のクラス替えにびくびくしていたのですが、46歳ともなると毒々っぽい人間関係にはすでに対応策を身に着けているか、それが通用しない場合には遮断してしまっているところがあります。
しかし、人生100年時代とすると46歳というのは折り返しも近い、または平均寿命換算では折り返しを過ぎていることや、昨年はだいぶいろんなことに区切りがつけられたので、今年はすこし毒も感じながらあれこれやれればと思っています。